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24号墓

ドキュメント内 浦添市文化財調査報告書 | 浦添市 (ページ 77-81)

第4章  調査の成果

第8節  24号墓

(1)遺構(第36図、図版10・11)

 24号墓は、調査区中央付近の西側に面した斜面の中段に位置する横穴式の掘込墓である。調査区の 中では中段の高さに構築された遺構の一つであり、ニービとクチャの地山が互層をなす地点に掘り込ま れており、墓室はクチャブロックとニービのブロック・砂粒で覆われた状態で検出されたことから、天 井が崩落したことに伴い埋没したものと思われる。覆土を除去したところ墓室奥壁に原位置が保たれ た蔵骨器が出土した。墓口方位は西北西(N72°W)で、0.5m程度の羨道を有する。墓室の形状は概 ね円形に近く、約1.4mの径で構築されている。棚は造られておらず、墓室手前から中央に棺箱を置く ことが可能な空間が存在することから、類型1dに分類されるものと考えられる。羨道から墓室にかけ て地山の床面が検出された一方、壁面は一部が残存しているのみであり、天井は崩落して残存しないた め、墓室の高さは不明である。23号墓と24号墓の眼前には平坦面が検出されたことから、墓庭として 利用可能であったと思われるが、平坦面の後背地が削平により旧地形が失われたと思われることから、

墓庭の全容は判然としない。

 墓室からは、奥から右の壁面沿いにかけて5点の蔵骨器が出土した。このうち4点は直立した状態 で、残りの1点はやや斜めに倒れているものの、天井崩落の際に傾いたものと思われ、原位置を大きく 動いたものではないと判断される。これらの蔵骨器はいずれも正面を墓室入口方向に向けて設置されて おり、うち4点はボージャー形、1点はマンガン釉甕形に属する形状を有する。ボージャー形の蔵骨器 5からは「嘉慶7年(=1802年)・・・洗骨」の銘書が書かれていることも踏まえると、蔵骨器の形 態がボージャー形からマンガン釉甕形へ移行する時期に使用され、埋没したものと推定される。

(2)遺物(第37・38図、図版40・41)

 24号墓に伴う出土遺物の種類と数量の内訳は第3表のとおりである。ここでは、墓室内から出土し た概ね完形の蔵骨器5点について図示するとともに、観察所見を記載した。なお、蔵骨器の観察表につ いては章末にまとめて記載している。

 蔵骨器1(第37図1・2)は、有頸甕形の蔵骨器である。蓋(第37図1)は、宝珠形のつまみに、

鍔は平坦でやや反りあがり、丸みを帯びた鍔端部の形状を呈し、かえりは内傾する。つまみ台は1段 で、圏線が一条廻らされる。身(第37図2)は、口縁部が直口する器形で、口唇部は平坦で内側に向 けてわずかに傾斜する。マド枠は唐破風形の貼り付けで、屋根の上には玉飾りが貼り付けられる。口縁 直下・頸部・及び上下のマド枠の位置に横帯が配され、頸部の横帯が突帯、それ以外が凹線で表現され る。器面は全体的に滑らかに調整されるが、胴部・口唇部などに工具痕が残る。釉は施されず、口縁部 が直口することから安里分類(2006)におけるⅦ式に相当する資料であると考えられる。

 蔵骨器2(第37図3・4)は、ボージャー形の蔵骨器である。蓋(第37図3)は、つまみ・つまみ 台のない笠形に成形される。外面は無文で、鍔の端部は内側に向けて「く」の字状にくぼむ。外面はや や凹凸が残り、紐づくりの痕跡を残す。身(第37図4)は、口縁部が内傾し、口唇部が玉縁状に肥厚 する形状を呈する。頸部横帯は3条の凹線で、マド枠は貼り付けによる唐破風形で作られ、屋根の上に は玉飾りが付けられる。マド枠は横軸よりも縦軸が長く、本調査区の中では珍しい形状である。胴部は 無文で、器面は滑らかに成形される。安里分類(2006)によると蓋はⅦ式、身はⅤ式に相当する資料 であることから、蔵骨器2は1750~1780年代に位置づけられるものと考えられる。

 蔵骨器3(第38図1・2)は、身と蓋が異なる形式のセット関係で出土した蔵骨器である。蓋(第 38図1)は、つまみ及びつまみ台を持たない笠形に成形されたものである。外面は無文で、横位の調 整痕を残し、頂部は未調整である。外面に1箇所膨張がみられ、鍔にも歪みが観察される。内面は頂部 と体部以下とで明瞭に色調が異なることから、重ね焼きがなされたことを示すものではないかと考え られる。身(第38図2)は マンガン釉甕形蔵骨器である。口縁部は直口し、口唇部は平坦に成形さ れ、内側に向けて傾斜する。屋門は瓦屋形の貼り付けで形作られる。胴部の文様は蓮華文が配され、花 は貼り付け、茎と葉は線彫りによって描かれている。口縁直下の横帯は凹線、それ以外の横帯は突帯 である。外面の口縁部から横帯4までにマンガン釉が施釉されるが、ハケで粗く施されており、素地 が露出する部分もみられる。横帯4から下方と底面部は露胎する。蓋は安里分類(2006)によるボー ジャー形のⅦ式(1750~1820)に分類され、身は安里編年(1997)によるマンガン釉甕形の編年の 第Ⅱ期(1770~1800)に分類されることから、蔵骨器3は1770~1800年代に位置づけられる。

 蔵骨器4(第38図3・4)は、ボージャー形の蔵骨器である。蓋(第38図3)は、つまみ及びつま み台を持たない笠形の形状を呈するもので、外面は無文、鍔端部は平坦に成形されるが、焼成時の影響 か一部が反り返る。身(第38図4)は、口縁部がやや内傾し、口唇部は玉縁状に成形される。マド枠 は貼り付けによる平葺形で、上下の枠には中央に沈線が入る。上下に比して左右の枠は幅・厚みともに 小さい。胴部は無文で、器面全体が滑らかに調整される。頸部の横帯は3条の凹線で構成される。安里 分類(2006)によると、蓋はⅦ式、身はⅣ式に分類されると考えられることから蔵骨器4には1750~

1820の年代観が得られる。

第36図 24号墓遺物出土状況平面図・立面図

S=1/60

0 1m

EL=103.50 EL=104.50 EL=105.50

EL=103.50 EL=104.50 EL=105.50

EL=104.00 EL=105.00 EL=105.00

EL=104.00

A'

B B'

A

A' A

B

B' 13号墓

24号墓

 ① 25号墓

①25号墓

24号墓 25号墓

X:26124.000

X:26124.000

X:26122.000 Y:22351.000

Y:22348.000

Y:22349.000

 蔵骨器5(第38図5・6)は、ボージャー形の蔵骨器である。蓋(第38図5)は、つまみ及びつま み台を持たない笠形を呈する。外面は無文で、鍔端部は平坦に成形される。体部の上半分に比べ下半 分は傾斜が浅く、端部に向けて広がりを持った形状である。また、調整も上半分が滑らかであるのに 対し、下半分では紐づくりの痕跡と判断できる凹凸を見ることのできる状態である。身(第38図6)

は、口縁部が内傾し、口唇部が玉縁状に形作られたものである。マド枠は貼り付けで平葺形をつくり、

胴部は無文である。頸部の横帯は3条の沈線で、外面全体は調整と焼き締めにより滑らかに出来上がっ ているが、正面の胴部中央から下方にかけて亀裂が走る様子が窺える。安里分類(2006)に従えば蓋 はⅦ式、身はⅣ式に分類できることから、蔵骨器4と同様1750~1820年代に位置づけられる。

(3)銘書

 出土した完形の蔵骨器のうち、蔵骨器1及び5から銘書の存在を認識できた。ただし、内容を判読で きたものは蔵骨器5のみで蓋内面に円形に配されたものである。内容の詳細については第5章に記載す る。

(4)人骨

 出土した5点の蔵骨器のうち4点の内部に人骨が残存していた。ただし、いずれも残存状態は不良で あるが、部分的ながら部位同定などの観察を行った。

第37図 24号墓出土遺物(1)

蔵骨器1

3

2 4

蔵骨器2

第38図 24号墓出土遺物(2)

蔵骨器4

蔵骨器3

蔵骨器5

2

3

5

4 6

24号墓

EL=103.50 EL=103.50

EL=104.50 EL=104.50

A EL=105.00

EL=104.00

A' EL=104.00 EL=105.00 A

B B'

A'

B

B'

Y:22351.000 Y:22349.000

X:26121.000

Y:22349.000

Y:22351.000 X:26124.000

X:26124.000

X:26121.000

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